第3回「YAMITUKI」〜最高峰・カマンベールを制覇せよ〜

値段1000円、YAMITUKI最高峰カマンベール。  
平成17年2月5日、金欠にあえぐ早稲田の学生がカマンベール登頂に成功した。この快挙を成し遂げたのは、学生ばかりの日本人プロジェクトチームだった。

金欠にあえぐメンバーたちがカマンベールに夢を抱き始めたのは平成15年。服部や浜本が入社したときのプロジェクトリーダー乾らとYAMITUKIに行った時だった。 「チーズが好きなんですよ」という新入社員服部に対し、「それならこれだよ」と乾が指を指したのが「カマンベール」だった。しかし、服部。その値段を見て驚いた。1000円。カレーのために夏目(当時)を犠牲にしなければならなかった。カレーのために夏目の命を失うことに対する社会の目は厳しかった。「大事な夏目の命を何だと思っている」「カマンベールは時期尚早」と言われ続けた。組織作りから資金集めに至るまで、3年に及ぶ準備期間は苦難の連続だった。 

更に資金調達では過酷な自然が待っていた。社員の厳しさ。罵声の嵐。体力を容赦なく蝕む睡魔。命の危険に脅かされながらも、服部たちは夢を諦めずカマンベール制覇を決断する。メンバーの情熱を支えていたのは、故郷で成功を祈る家族や仲間達の存在だった。 

家庭や仕事を抱え、学生として様々な問題に直面しながらも、自分たちの夢を叶えようとしたカマンベール隊の1400日のドラマを描く。

いつかカマンベールを制覇すると誓ってから2年が経った。乾はリーダーを引退し、あのときの新入社員・服部が今度はリーダーになっていた。それまで何度も挑戦を試みた。だが、社会の批判を前に決断ができなかった。そんなとき、引退した乾が服部らの前に現れた。「世間を気にするな。必ず時代が評価する。」その言葉に、プロジェクトチームは再び、カマンベールを目指すことになる。

資金調達の浜本が仕事を見つけてきた。美術館の仕事だ。朝早いにもかかわらず、現場に向かった。場所がわからず、現場に到着するのが少し遅れた。「何をやっているんだ。」怒鳴られた。途中休憩になった。まだ昼食前で、20分くらいの休憩かと思いきや、休憩時間が長い。おやじが容赦なくマシンガントークをはじめる。30分が過ぎ、1時間が過ぎた。話がつまらない。これは苦痛だ。雇われている身。まさか「話がつまらない」とは言えない。ちょうどその時、別の若手社員がたまたまそばを通った。おやじが話しかけた。「それ何度も聞きましたよ。」と若手社員が勇気を出して助言した。「助かった。」浜本が思ったのもつかの間、まったく効果がなく、おやじの雑談は1時間30分も続いた。浜本は耐え切れず、「ボアリング」と英語で言った。

仕事を終え、資金が調達できた。おやじのつまらない話に体は疲れきっていた。YAMITUKIの前に行く。この精神力ではカマンベール制覇は難しい。プロジェクトは中断の可能性が出てきた。そんな時、イスラエルののりよし部長から電報があった。「カマンベール ノ コウセキ ヲバ コウセイ ニ ノコスベシ」。あの時の乾リーダーの言葉とリポビタンDが彼らを支える。

浜本と服部は店に入った。メニューを見た。1000という数字がプロジェクトチームを苦しめる。浜本は途中で倒れた。後はお前に任せた。服部は一人カマンベールを目指すことになった。

太陽がうっすらと見えてくる。目の前にカマンベールがあった。ついに登頂に成功。ついに2年越しの夢をかなえた。

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