第31回「三品」〜センスを評価されて〜

日比谷への出張が多すぎて、現場主任の立場が危うくなった服部は、第30回で「三丁庵」、第31回でこの「三品」を選択した。英語会のメンバーたちの中には、「服部の選択はどうなのか」と疑問に思うものが少なくなかったが、服部は辞表を覚悟して、これまでの経験を生かした上での選択だった。内心、「英語会の連中に主導権を握られては」という思いがある一方、「この選択は正しかったのか」と確信が持てない部分もあったが、服部は間違っていなかった。2006年7月25日付の日本経済新聞に、喜ぶべき記事が掲載された。『素顔の東京』という連載をしているが、その第四回で、元気な学生街は、二位以下を大きく引き離し、ダントツで早稲田・高田馬場が選ばれた。

「『熱い学生が多そう』(男性・20代・無職)と『元気な学生街』として断然トップだったのは早稲田・高田馬場。・・・(中略)・・・。学生と地元商店街の結び付きは昔から強く、江戸期創業のそば店「三丁庵」やカツ牛めしで有名な「三品食堂」など、親子二代、三代の早大生に愛される老舗も多い。」

某新聞社の記者は、勤務中、インターネット上で株の取引をやっていたようだが、勤務中にこのページをみている社員もいたのか、服部の選んだ店が見事に新聞に掲載された。するとイスラエルの渡辺部長から祝電が届いた。

「OMEDETO MADA GENBADE DEKISOUDA」

さて、早稲田に昔からある店は、たいてい、昔風の味付けで、好みが細分化されている現代では、普通の味に思われる店が多いが、この店は違った。「うまい」。一緒にいた英語会のメンバーたちも同じことを言った。

しかし、記事には続けてこう書いてある。

「しかし、古き良き学生街も昔のままではいられない。(中略)『学生の”街離れ”が進んでいる』と指摘する。
早大広報室によると今春入学した新入生の六二・二%(出身校ベース)が首都圏一都三県の出身。『地方出身者が多かった』という一九六〇年代に比べ、大学周辺に下宿し、町内で三食を食べ、ジャン荘に入り浸るような学生は減った。・・・」

とある。ちなみにこの記事によると、茨城の方は、地方出身者にあたるようだ。

日比谷への出張が多い服部ではあるが、本部からそのセンスを認められなんとか現場に残れることになった。また、英語会のメンバーともうまくやっていけそうではある。

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