第10回「エルム」〜噂のカルボナーラを検証せよ!〜


本部から、本来の趣旨を忘れるなと言われた服部らは、大食いから離れ、早稲田の店を調査することになった。この日は、「エルム」。カルボナーラが有名な店だ。多くの学生は、これはカルボナーラではないと証言する。だが、服部は乾の言葉を思い出した。

「見かけだけで判断してはいけない。先入観。これが一番の敵だ。本当の敵は外ではなく、自分自身にあるのだ。」

服部は、誰よりもこの言葉の重みを感じていた。店は、どうやら一人で営業をしているようだ。服部はオムライスを、小野寺はカルボナーラを頼んだ。

オムライスが来た。オムライスだ。服部は思わずこう言ってしまった。

「オムライス ああオムライス オムライス」


さすが腐っても文学部。

カルボナーラが来た。カルボナーラ?服部は思わずこう言ってしまった。

「カルボナーラ?ええカルボナーラ?塩焼きそば?」

すると普段はおとなしい小野寺が声を上げて服部に言った。
「君は鈴木孝夫の『ことばと文化』も読んだことがないのか?そこにはこう書いてあるじゃないか。『ものという存在が先ずあって、それにあたかもレッテルを貼るような具合に、ことばが付けられるのではなく、ことばが逆にものをあらしめているという見方である。また言語が違えば、同一のものが、異なった名で呼ばれるといわれるが、名称の違いは、単なるレッテルの相違にすぎないのではなく、異なった名称は、程度の差こそあれ、かなり違ったものを、私たちに提示していると考えるべきだというのである。』と。確か30ページに書いてある。岩波新書の」

服部は小野寺の記憶力に驚いていると、小野寺は続けていった。

「私は鈴木孝夫が慶應の出身であること以外には尊敬の意を表するが、私はこれには別の見解もあると思う。それは場所が変われば、仮に同一の名であったとしても、異なったものを指し示す場合があるということだ。それに確か小林秀雄が、『ものと言葉の関係はきわめて恣意的だ』と言っているじゃないか。だから早稲田で、カルボナーラといったら、これがカルボナーラなんだよ。第一、俺が頼んだものにけちを付けるな。」


服部は目が覚めた。そういえば、小林秀雄の文章(確か)は代々木ゼミナールの「私大現代文A」あたりに出てきた気がする。笹井先生が言語論についてあつく語っていたことを思い出した。服部は入学当初の高い志を思い出し、それを学問ではなく、早稲田の店制覇に捧ぐことにした。

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