山パンマスターへの道(下の一)

 高田馬場の停車場を出発する際に、友人の武者小路くんが駅まで見送りに来てくれた。そして『都の西北』を歌ってくれた。感激して涙が出た。
 さて、小平に着き、途中何度も逃げそうになったが、何とか工場に着いた。行くといろいろな書類を書かされた。その中に「内部機密は一切外部に漏らさない」との誓約書を書かされたが、あきらかに外部に秘密が漏れているよと思いつつも、制服に着替えさせられた。全身白い服で、白の帽子には、「志賀」という大きな名札をつけられた。すると食堂に行くように言われた。食堂には同じような格好をした人でいっぱいだった。しばらくすると、職員が来て

「今から名前を呼びますので、呼ばれた方は出てきてください」といって
「洋菓子課。○○さん。○○さん。…。和菓子課○○さん。○○さん。…。ドーナツ課。○○さん」という風に呼んでいく。すると
「バターロール課。志賀さん。志賀直哉さん。…」

名前が呼ばれた。どうやらバターロール課らしい。バターロール課にはもう一人の青年がいた。
 一列に並んで、工場の中を行進していく。まるで刑務所のようだ。途中、いろいろな作業者を見た。アンパンの上にごまだけをつける人。菓子パンの上のマヨネーズだけを塗る人などなど。まさにI cannot help laughing : D-.だった。
 バターロール課ではバターロールがまるでひよこの様にうじゃうじゃいた。仕事の方は極めて単純だった。でき上がったバターロールの袋がはみ出さないようにならべるだけというものだった。すると途中で仕事を変えてくれた。今度は鉄板にバターロールの生地を並べるものだった。It's a peace of cakeだね。
 すると休憩に入った。時刻は夜の9時だろうか。まだ8時間もあるよと思いながらも、
さっきの食堂に行った。食堂では山パンが食い放題だった。しかしなぜか社員の多くが定食を買う。
 休憩は例の青年と同じだった。どうやら山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で小平の山パン工場に来たらしい。彼はずっと鉄板に並べる作業だけをやらされているようだ。かなりつらいらしい。彼はこんなことを言っていた。

「生きていることと死んで了っている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。…視覚は遠い灯を感ずるだけだった。足の踏む感覚も視覚を離れて、如何にも不確かだった。只手だけが勝手に動く。…」

ずいぶん文学的なこと言う青年だ。これを今度、『山崎にて』の題材にしようと決めた。

↓バターロール。

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